カテゴリ: 地域情報

5月6日(火・振替休日)
☔上がりのでも夕方にはまた雨が降る予報

楽しかったGWのお休み、お天気に恵まれ
各観光地は賑やかだったそうですね
北栄町にある青山剛昌ふるさと館は、
コナン君・工藤新一君の誕生日である
5月4日は特に賑わったようですネ




ただ、一つだけお願いがあります
コナン君・・・ミッキーのように、いつどこで会っても
TV等で見るコナン君であってほしいです


4日に三朝で行われた大綱引き「陣所」
願どおり
東が勝ち豊作」との結果
今年は野菜やお米が豊作となりますように・・



国重要無形民俗文化財の大綱引き「陣所」については、
三朝の生き字引 梶川理髪館のbarber様のブログ
ご覧くださいませ
 ブログの中には、三朝温泉街で大綱引きが始まった理由
書いてありました


三朝温泉と三徳山は
日本遺産に認定されています。

三朝温泉観光協会様facebook
三朝町の日本遺産を画像で紹介されていました
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三朝温泉の効能と歴史

温泉に入って、三徳山にご参拝ください
何かが変わるかも


5月3日(土・祝)のち 憲法記念日の祝日

GW後半、観光地は賑わっているようですね

倉吉博物館の中庭で植栽されている杜若(かきつばた)の折鶴
毎年、GW頃に開花するそうです。
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📸=倉吉博物館様撮影 2024年5月4日

折鶴は、第119代光格天皇が命名された杜若で
御生母である大江磐代君は、延享元(1744)年に現在の倉吉市湊町に
生まれ

平成24年倉吉博物館で開催の大江磐代君顕彰展に際し、
大江磐代君のご実家の縁者である、滋賀県野洲市の錦織寺様
より株分けされた杜若です。

現在倉吉博物館では、
「いいもの💛見つかるかも くらはくこれコレクション」開催中
倉吉市制70周年を記念する写真展写真展も同時開催中
写真展では、「倉吉市制70周年記念写真集」に掲載した写真を中心に、
「第1回倉吉打吹まつり」のポスターや、旧国鉄倉吉線の最終列車に
取り付けられたヘッドマークなどが展示
されています


4月19日(土)
3日連続30度近くの暑い日
少し薄着にしましたが・・・半そでで十分ですが日焼けしそうです

さて いよいよ動き出しましました
それは 3月に発表された倉吉を舞台にした映画制作

昭和の倉吉を舞台にした谷口ジローさんの名作
「遥かな町へ」の主人公等の募集が発表
📚📚漫画「遥かなる町へ」の内容📚📚
団塊の世代の48歳の主人公が故郷の倉吉市で母の墓参をしたし際、
墓前の前で
タイムスリップ。
14歳の自分と父親と同年代になった現在の自分を交錯しながら家族や
人生観を描いた作品📚📚
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出演者のオーディション
   5月10日・11日の両日、倉吉市内で開催!

主人公等募集について
①中学時代にタイムスリップした主人公の中原博史
②同級生のヒロイン長瀬智子
③同級生役
※12歳~19歳のの男女で中学生に見える人
④町の人々
⑤商店関係者
⑥学校の先生などのエキストラ
⑦ボランティア:撮影現場での補助作業を手伝い

撮影期間 8月~10月中旬を予定 
     倉吉市内や県内などで撮影され、夏の海水浴シーンもある
脚本・監督 錦織良成さん

募集締め切りは5月6日


そういえば、この物語の始まりは
東京に住む主人公が、出張で訪れた京都で、列車に乗り間違え
故郷の倉吉へ向かう特急スーパーはくと内でシーンから始まったような


てっことは
倉吉駅でも撮影があるのーーー
応募しちゃおかな


4月2日(水)☔のち
昨夕 帰り道に見た
倉吉市上灘町会下谷川のさくら並木がとても綺麗でした
点灯時間18時30分~21時30分

3月31日時点では3分咲きとありましたが、
昨日見た限りは
「満開」と言ってもいいくらい見ごたえがありました

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会下谷川のさくらは、川沿いに234本植えられています。

会下谷川の側には
「絵下谷川」と書かれた看板が設置されています

河川の呼び名

テーマ:地域情報

先に2021年7月にじげ風呂にUPした三朝川について

三朝温泉に行かれる県外の方から

 ところで、三朝にある三徳川はどこですか

 三朝温泉街に流れる三朝川ですよ

 え-え---

 皆さん三朝川と言われますが、正式名三徳川です。 

  観光側は三朝川と紹介されていますね

三朝温泉観光協会マップ


倉吉市上灘地区に流れる下谷川(えげたにがわ)
国土交通省の河川名は「下谷川」漢字が違います。

届け出をされるときに、会絵で登録されてしまったそうです。

倉吉では、桜の名所として紹介されるときに使われる漢字は、
地域の方が使われている本来の会下谷川で紹介されています。
災害が発生した時ピンとこないかもしれませんねじげぶろ〜くん(目がバツ) 

名称の違いも知っておく必要がありますね


ここから2022年9月にじげ風呂にUPした会下谷川について
先日の日本海新聞

倉吉市上灘(うわなだ)地区にある桜の名所の川の名前についての
記事がありました。
当法人でも、倉吉の桜の名所を紹介する際にどっちが正しいの
迷った時期があり、当初は国土交通省に登録をしてある漢字で紹介して
いましたが、その後観光協会の方より地元に方に馴染みのある漢字を
を使用し表記を統一しましょう
ってことになりました。

QG7m7d3Dその川の名前は
会下谷川えげだにがわ

日本海新聞掲載記事

こちら新聞特捜部あなたの声から 
倉吉市の河川
「会下谷川」「絵下谷川」

 鳥取市の40歳代の女性から、倉吉市の上灘地区を流れる川が
「会下谷(えげだに)川と絵下谷川の表記があるのはなぜだろう」と、疑問が寄せられた。本紙では以前から「会下谷川」に統一して表記してきたが、川の看板や住宅地図などには「絵下谷川」と記されていて、
記者も常々疑問に思っていた。なぜ2通りの表記があるのだろうか。
名前の由来を追った。(加嶋祥代)

「会下」は仏教聖地由来?

■修行僧の地
・・・・・・上灘地区振興協議会が制作した
「うわなだ子ども風土記第2集」(1992年刊)では、倉吉市米田町の
会下谷は、地名が示すように会下(えげ)(学問僧=修行僧)の
住んだ所
と言われ
、この周辺一帯はこの地方における仏教の聖地
だったのではなかろうかと記載されている。

会下谷川の名前はここからきていると思われ、
上灘地区でも会下谷川の表記にこだわってきた。
・・・絵下谷川の表記は70年4月20日発行の官報で告示され登場した。・・・・
96年の本紙に元高校教諭の筏津渡さんが
「倉吉市の地名再考」と題して会下谷と絵下谷について執筆。
地籍図の地名は作図者が音読地名で記入している場合が多く
「地名を転記する際、誤って同音文字を記入したり、無意識に記入した
場合もあるようである」
などと述べている。
上灘地区は、
73年の土地区画整理事業の工事が始まるまでは、
一帯が水田だった・・・・

■呼び名が異なる例も
・・・・・・県河川課によると、
地元の人の呼び方と河川の名が異なる例は県内でもあり・・・・
地元の要望などを受け、河川名が変更された例もあるという。
かつて上灘地区でも「絵下谷川を会下谷川に直したい」と機運が
高まったことがあると聞いたが、今後、河川名が変更されることが
あるかも知れない・・・・。 日本海新聞記事より一部抜粋


Rx1qiQ40会下谷川(絵下谷川)の近く
駄経寺町
には、
国の史跡に指定されている古大寺院
大御堂廃寺跡
 (おおみどうはいじあと)があります。
📚ウィキペディアで調べると📚

久米郡(現:倉吉市)の郡名を負う郡の
代表的寺院
であり、"三明寺古墳"を築造した有力豪族が久米郡の郡司氏族になるとともに氏寺として営んだと推察される
 。
と記載されていました。


私の住んでいる地名の理由は分かりませんが、
勾玉を作っていたと言われています。


そして、私の家で畑として使用していた一角の古墳からは、
庶民は使う事がない柘植のくしが出土しており、日本のどこかの博物館で所有されているそうです。

やっぱり夏休みの自由研究で調べておくべきでした

 

2月19日(水)⛄ 
今朝の新雪は1㎝ですが、昨日からの積雪は4㎝

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今日も少し雪かき。
立春寒波と違って水分があるので雪が重いです
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さて今日のブログは
2月16日(土)に日本海新聞に掲載されていた
倉吉博物館だより「貴重な照葉樹林ー倉吉のシンボル・打吹山ー」の中に
 打吹山と人との関りを振り返ってみると、室町時代から戦国時代には
 山名氏や南条氏によって打吹城が築かれ、防衛のために山全体に堀や
 曲輪は造られました。
  その後、江戸時代には一国一城令で廃城となりますが、麓には陣屋
 などの武家屋敷が造られ町が栄えました。

  廃城から400年がたった現在の打吹山は、樹高20㍍近い大木が各所に見られ・・・


そういえば、
  打吹小学校(旧 成徳小学校)の前に陣屋の絵図や説明があったな
  と思い出し、先日確認をしてきました
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とても良い内容なので
ぜひ 打吹公園・白壁土蔵群・市役所本庁舎へお出かけの際には
ご覧くださいませ

2014年の設置の日に、偶然通りかかり
じげ風呂にUPしました。ブログを再度UPしご紹介したいと思って
いたので、ちょうど良いタイミングでした

しか~し 何年だったかは 保存したじげ風呂を見ても
ネットで調べても見つからなかったので
倉吉ロータリークラブ様に直接お伺いをしました📞📞
もう設置から10年過ぎたんですね

 

「倉吉陣屋絵図」除幕式

テーマ:倉吉近辺の観光
昨日の5月14日 午前10時赤瓦の駐車場から見えたものは
黄色のジャンバー姿の皆様
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皆さんの前には看板らしきものが白い布をかぶり、
紅白のリボンが・・・
何かをしゃべっているけど
🎤「倉吉市長石田耕太郎様より・・・」 の紹介が
「では、よろしくお願いします」の声に合わせてお願いします
除幕式だったのです。
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式典が終わった後、見てきました
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倉吉ロータリークラブ様
「倉吉陣屋絵図」の看板を設置されたのでした。
看板には「倉吉陣屋跡」 
倉吉は、室町時代に山名氏によって打吹山に城が築かれて以来、城下町として発展しました。一国一城令【元和元(1615)年】によって廃城となると、打吹山の北麓に鳥取藩の家老荒尾氏が陣屋を構え倉吉を治めました。陣所の周囲には武家屋敷が建ち並び、その外側には町人たちの町が広がり、陣屋町・宿場町として大いに栄えました。白壁土蔵群周辺の街並みは往時の姿をよく伝えています。陣屋は現在の成徳小学校敷地にあり、石垣にその面影を見ることができます。                                                             
と記されていました。 

地図現在地(看板設置場所)を記す赤い●あり、当時の大きさや
様子がよくわかります。 
絵図下側の青い部分が白壁土蔵群内に流れる玉川です。
看板の左下に伯耆国倉吉侍屋敷町屋図」があります。
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看板を見たり写真を撮っていると 
数名残っていらっしゃった倉吉ローターリークラブの方がいろいろ
ご説明してくださいました
                         
 玉川も現在の宮川町あたりでよく氾濫していたので、
  緩やかな流れになるよう流れる向きを変えたとか・・・    
                              

 先月遠足で打吹公園を訪れる小学生が多かったので、
  もう少し早く設置されていれば小学生たちも見て知ることができた
  でしょうにね              

こんな話をしている時、
隣から「ちくわのくいさし」と聞こえてきた👂👂👂
「ちくわのくいさし」って成徳小学校の校章ですか
 と尋ねると

「そう、校章。ここにも書いてあるけど、ちくわのくいさしと言われている成徳小学校の校章は荒尾家の家紋を反転したものだで~」と教えてくださいました。 
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こちらです 看板の左上に記載。

倉吉市民でありながらあまり知らなかった倉吉。良い絵図を見ることが出来ました
是非こちらへお越しの際には、ご覧下さいませ
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陣屋の石垣です

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