

昨夕 帰り道に見た






倉吉市上灘町の会下谷川のさくら並木がとても綺麗でした



点灯時間18時30分~21時30分
3月31日時点では3分咲きとありましたが、
昨日見た限りは
「満開」と言ってもいいくらい見ごたえがありました






河川の呼び名
先に2021年7月にじげ風呂にUPした三朝川について
三朝温泉に行かれる県外の方から
ところで、三朝にある三徳川はどこですか
三朝温泉街に流れる三朝川ですよ
え-え---
皆さん三朝川と言われますが、正式名は三徳川です。
観光側は三朝川と紹介されていますね
三朝温泉観光協会マップ
倉吉市上灘地区に流れる会下谷川(えげたにがわ)
国土交通省の河川名は「絵下谷川」漢字が違います。
届け出をされるときに、会➡絵で登録されてしまったそうです。
倉吉では、桜の名所として紹介されるときに使われる漢字は、
地域の方が使われている本来の会下谷川で紹介されています。
災害が発生した時、ピンとこないかもしれませんね
名称の違いも知っておく必要がありますね
ここから2022年9月にじげ風呂にUPした会下谷川について
先日の日本海新聞に
倉吉市上灘(うわなだ)地区にある桜の名所の川の名前についての
記事がありました。
当法人でも、倉吉の桜の名所を紹介する際にどっちが正しいのと
迷った時期があり、当初は国土交通省に登録をしてある漢字で紹介して
いましたが、その後観光協会の方より地元に方に馴染みのある漢字を
を使用し表記を統一しましょうってことになりました。
その川の名前は
会下谷川えげだにがわ
日本海新聞掲載記事
こちら新聞特捜部あなたの声から
倉吉市の河川
「会下谷川」か「絵下谷川」か
鳥取市の40歳代の女性から、倉吉市の上灘地区を流れる川が
「会下谷(えげだに)川と絵下谷川の表記があるのはなぜだろう」と、疑問が寄せられた。本紙では以前から「会下谷川」に統一して表記してきたが、川の看板や住宅地図などには「絵下谷川」と記されていて、
記者も常々疑問に思っていた。なぜ2通りの表記があるのだろうか。
名前の由来を追った。(加嶋祥代)
「会下」は仏教聖地由来?
■修行僧の地
・・・・・・上灘地区振興協議会が制作した
「うわなだ子ども風土記第2集」(1992年刊)では、倉吉市米田町の
会下谷は、地名が示すように会下(えげ)(学問僧=修行僧)の
住んだ所と言われ、この周辺一帯はこの地方における仏教の聖地
だったのではなかろうかと記載されている。
会下谷川の名前はここからきていると思われ、
上灘地区でも会下谷川の表記にこだわってきた。
・・・絵下谷川の表記は70年4月20日発行の官報で告示され登場した。・・・・
96年の本紙に元高校教諭の筏津渡さんが
「倉吉市の地名再考」と題して会下谷と絵下谷について執筆。
地籍図の地名は作図者が音読地名で記入している場合が多く
「地名を転記する際、誤って同音文字を記入したり、無意識に記入した
場合もあるようである」などと述べている。
上灘地区は、
73年の土地区画整理事業の工事が始まるまでは、
一帯が水田だった・・・・
■呼び名が異なる例も
・・・・・・県河川課によると、
地元の人の呼び方と河川の名が異なる例は県内でもあり・・・・
地元の要望などを受け、河川名が変更された例もあるという。
かつて上灘地区でも「絵下谷川を会下谷川に直したい」と機運が
高まったことがあると聞いたが、今後、河川名が変更されることが
あるかも知れない・・・・。 日本海新聞記事より一部抜粋
会下谷川(絵下谷川)の近くの
駄経寺町には、
国の史跡に指定されている古大寺院の
大御堂廃寺跡 (おおみどうはいじあと)があります。
📚ウィキペディアで調べると📚
久米郡(現:倉吉市)の郡名を負う郡の
代表的寺院であり、"三明寺古墳"を築造した有力豪族が久米郡の郡司氏族になるとともに氏寺として営んだと推察される 。
と記載されていました。
私の住んでいる地名の理由は分かりませんが、
勾玉と硯を作っていたと言われています。
そして、私の家で畑として使用していた一角の古墳からは、
庶民は使う事がない柘植のくしが出土しており、日本のどこかの博物館で所有されているそうです。
やっぱり夏休みの自由研究で調べておくべきでした
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